坂本龍一「async」を聴く

坂本龍一は大好きなミュージシャンで、今年も事あるごとに音源を聴いていた。

ただ今回取り上げる「async」に関しては、素晴らしい作品だとは思っていたがきちんと向き合ってこなかった。というよりきちんと向き合える覚悟がなかった。12月に入りふとこのアルバムを聴き今ならきちんと向き合える覚悟が出来たので今ここで文章を書いている。

まず坂本龍一はアカデミックな出自ながらその音楽性は多岐に渡りポップスからクラシックなどなど様々な分野で活躍してきた。言い換えればどこにも属さず、いや属せずに孤高の人であると思う。本作はそんな孤高のミュージシャンがわがままにやりたいように作ったものだと思う。アンビエントや現代音楽でもなければ聴きやすいアルバムでもない。坂本龍一という音楽なのだ。事実、坂本は今作について一番わがままに作ったと述べている。

アルバムタイトルのasyncは非同期を意味する。鳴っている音もばらばらで整合性は取れておらず音の一つ一つが自由に鳴っている感じだ。ピアノやシンセサイザーの他にフィールドレコーディングの音やノイズがうまく取り込まれ一つの作品となっている。実験的と評するのは簡単だが僕はこれを無邪気と評したい。僕はこのアルバムを初めて聴いたときバッハが現代に生きていたらこんな作品を作るのではないかと思っていたのだが、色々調べてみると、坂本本人もバッハに影響を受けているようである。また使用機材も以前のものとは違うものを使用しているそうなのでその辺も楽しめるアルバムである。

また震災で津波をかぶったピアノも使われている。社会的なメッセージも読み解けるが、本来、調律が整えられて弾くべきピアノをあえて調律がめちゃくちゃなピアノの音を取り込む行為自体が非同期なのかもしれない。

このアルバムをあらためて聴きながら非同期とは何かと考えていた。

なかなか難しい命題である。僕らは生きていく中で常に何かと同期している。考え抜いた結果、非同期とは断絶そして死を意味するのではないかと思った。あらゆる意味での孤独。

このアルバムは極めて内省的であり断絶している。

だが美しくそして儚い。

偉大なる作品である。

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