僕とギターをめぐる物語

僕の育った家には何故かたくさん楽器があって、その中に母親のクラシックギターがあった。

記憶が確かなら初めてギターに触れたのは4歳くらいだったと思う。コードとか関係なくかき鳴らしていた。とにかく楽しくてこれは魔法の楽器だと思っていた。だが何故か小学校に上がるとギターを触らせてくれなくなり、仕方なしに同じく家にあったオルガンをいじっていた。中学生になりジミヘンを聴いてやっぱり僕が弾くのはオルガンではなくエレキギターと確信し親に懇願しどこのメーカーか分からないようなアンプとセットになったエレキギターを手に入れた。もちろんストラト型。初めてギターをアンプに差し込み音を出した瞬間の感動は今も忘れられない。誰かは忘れたけど、ギタリストが一番輝く瞬間は初めてギターを手に入れ音を出した瞬間だ、と言っていたけど本当だと思う。とにかく練習した。楽譜を買う金なんてないからCDを聴きながらひたすら耳コピをした。当時からバンド指向はなかったから作曲なんかもしていた。高校生になりバイトをしてジャパンのストラトや宅録機材を買って宅録を始めた。自分の周りも徐々に楽器を買ったりしてバンドを組んだりしていたが、誘われなかったし、今もそうだがもともと自分の演りたくない音楽は誘われてもやらない主義なのでずっと宅録をしていた。

大学に入り念願のUSAのテレキャスターとVOXのAC30を手に入れた。この頃もバンド指向はあまりなかったが、サークル勧誘でたまたま楽器演ってそうだけどなんかできると言われたのでギターとボーカルなら出来ると答えたら、じゃあここに名前書いてと言われ名前を書いて半ば強制的に軽音サークルに入ったのである。ここでも自分のひねくれた性格が出る。基本スタジオが抑えられたらジャムセッションで遊ぶ、ライブ前数日に演奏する曲を練習する。これはバンドを組んだ時にギター兼ボーカルとして僕が加入する条件として提示したものだった。今、思えば何やってんだという話である。さらにそのうち僕は授業に出ずに昼間は御茶ノ水などに行って楽器屋巡りしたりレコード屋巡りをし夜は吉祥寺で遊んだりなどの生活が続きバンドは空中分解したのだった。ただ学校に顔を出さなかった事もあるがちょうどこのころに、Kヤイリのアコギの上級モデルを手に入れたこともバンドから離れた原因でもある。自分の表現したいサウンドがバンド編成よりもシンガーソングライター指向に変わってきていたのである。

結局大学は中退し、昼間は実家の家業を手伝いながら夜はギターの練習という日々をしばらく送っていた。笑われるかもしれないけどコードの開発なんて事もしていた。僕はコードブックを持っていない。基本的なコードは覚えているけど。

そのうち就職をしギターを弾く時間が減ってしまった。病気になりお金が必要になり泣く泣くギターを手放してしまった。

今年に入りJAPANのジャズマスとKヤイリのアコギを手に入れた。久しぶりに弾いたギターは気持ちよかった。しかしどうしても自分の鳴らしたい音が出ない。エフェクターも色々試した。技量の問題でもない。ちょうどエレキギターが欲しいという知人がいたのでジャズマスは格安で譲った。よく弾かないのにコレクションのように何本もギターを持っている人がいるが僕の場合は理想の運命の一本のギターが欲しいのだ。弾きもしないままなら弾きたい人が弾くべきだ。弾かれないギターがかわいそうだ。だから僕はギターを弾くべき人に譲った。その後は残った一本のアコギで弾き語りをしたり作曲をした。そんな毎日が続くと思っていた。ある日帰宅後ギターを弾こうと思いギターを手にしたらボディーの裏面にクラックが入っていてさらに剥がれている。中古で安くて古いモデルだったし合板だったから正直心配はしていたのだが。修理も裏面全てを剥がして行わなければならず修理代もかさむため、修理はせずに修理代を次のギター購入の資金に充てることにした。

なかなかうまくいかないギター人生。

というわけで今僕はギターを持っていない。

だがしかし気持ちはギタリストである。

きっと次はいい出会いがあることをいい音が出せることを信じながら。

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