くるりにおける青臭さ

今日一日くるりを聴いて飲んでる。
しかし飽きない。
この飽きないという感情はどこから産まれてくるのだろう。
第一にコードなどの和声の響きがある。所謂ポップ・ロックバンド的なコード進行ではない。これはくるりをコピーする際にぶち当たる壁であるが同時に音楽家として目覚めさせてくれる事である。
次に詩であるが、常に文体の基本は主であるようで他者である。これまでの主な曲がそうである。
結局のところ、青臭い。
だが、しかし僕らはその青臭さを分かっていながら身を委ねてしまう。
何故なら僕らが青臭いから。
蒼い春に夕を見てるから。
結局は僕らの問題なのだ。

0コメント

  • 1000 / 1000

THE WORLD IS MINE

日々のあれこれ Deliver fashion, music and culture